ライフ・イズ・コメディ! ピーター・セラーズの愛し方

レイ・チャールズとかピーター・パンの生みの親とか、ここんとこのハリウッドは伝記ものがトレンドなのですか。まあ、彼らにはそれほどの興味も思い入れもないので、好きにやってくださいといった感じなのですが、それがピーター・セラーズのとなれば話は別です。クルーゾー警部なのです。ストレンジラブ博士なのです。イブリン・トレンブルなのです。フー・マンチューなのです。そんな天才コメディアン、ピーター・セラーズの生涯の映画なら、取るものとりあえず観に行くってもんです。ココリコ田中もセラーズトリビュートな短編映画を作ったりして、ちょっとしたセラーズ祭といった様相。いやがおうにも盛り上がるってもんですよ。これで映画を観たその足でピンクパンサー・フィルムコレクション*1を買って帰れば、もう流れとしては完璧でしょう。が、この映画を観た直後はちょっとそんな気分にはなれませんでした。


ジョン・ベルーシなどの例を挙げるまでもなく、映画の中では愉快な人でも、その人生は必ずしも愉快ではないということはよくあること。多少の覚悟はしていたのですが、想像以上に痛々しかったです。息子を異常なまでに溺愛する母親、それゆえに自己中心的になるピーター本人、そんな彼の行動に振り回される家族や仕事仲間と、まさに芸のためなら女房も泣かす、「浪花恋しぐれ」を地でいく人生といった趣き。ちょっと違うか。
ところどころでストーリーが中断し、今までセラーズと会話をしていた登場人物たちがそのままセットの外に出て来て、彼に対する印象などを語ると何事も無かったようにストーリーの中へ戻っていく。しかもそのシーンだけ登場人物を演じる役者がピーター・セラーズ(役のジェフリー・ラッシュ)にすりかわるという、文字にすると本当に訳がわからない*2けど、これぞ天才ピーター・セラーズの面目躍如といったややこしい構造が、彼の自分勝手な人間性をよく表していると思われます。なにしろ、それぞれの登場人物が語るセラーズ像には否定的なものはなく、そしてそれを語っているのは他ならぬ彼らの姿を借りたセラーズ本人なわけで、それは非常に回りくどい自己弁護なのではないかと。
2番目の妻となるブリット・エクランドにプロポーズするかするまいかという相談をセラーズから持ちかけられた前妻アンの、あきれたように微笑む顔がせめてもの救いでした。


とまあ、彼の人生にはあまり共感できなかったのですが、それだからこそ、ピーター・セラーズは天才たりえたのだという結論は平凡すぎますか?別にいいや、俺凡人だし。

*1:なぜか2だけ抜けてる。でもやっぱり欲しい

*2:それは俺の文章力がないから